蔡瑞月文化基金會介紹

財團法人台北市蔡瑞月文化基金會 介紹

財團法人臺北市蔡瑞月文化基金會做為台灣唯一傳承現代舞先驅蔡瑞月精神之團體,以「舞蹈、土地與愛」為核心價值,延伸、演繹其舞蹈作品的人道意識,積極回應當代社會中的人權、環境、政治、歷史、台灣主體認同等重要議題,並以舞蹈藝術結合學界論述,打造「蔡瑞月舞蹈研究社」為台灣重要的文化地標。

蔡瑞月文化基金會所繼承的「蔡瑞月舞蹈研究社」,於1953年由蔡瑞月成立。在台灣還是文化封閉的年代,蔡瑞月不斷從事舞蹈教學、創作、交流及演出,呈現活絡的舞蹈盛況,舞蹈社成為習舞者心目中的台灣現代舞搖籃地,吸引各國舞蹈家紛紛造訪:神原歸逸(日本)、瑪莎.葛蘭姆(美國)、金莉娜(美國)、舊金山芭蕾舞團、艾文.艾利舞蹈團、趙勇子(韓國)、金順星(韓國)、黃忠良(美國)等……。國內藝術家楊三郎、顏水龍、呂泉生、王昶雄、蘇盛軾、劉鳴寶、哈元章、廖五常等文化人也是座上賓。「蔡瑞月舞蹈研究社」早期不只是國際舞蹈交流的重要窗口,更是台灣人文薈萃之地。

  奠定於如此得天獨厚的文化資產上,基金會長期致力於文化的傳承及交流,透過重建蔡瑞月之經典舞作,建立屬於台灣的舞蹈系譜,蘊含台灣歷史及常民文化,保留具有台灣意識的舞蹈作品,讓藝術文化得以扎根。基金會每年舉辦國際交流,至今已邁入第十五屆蔡瑞月國際舞蹈節,邀請來自美、日、澳、韓的資深舞蹈家對話,在世界的脈絡中展現台灣舞蹈的位置,透過當代思潮的激盪,不斷活化台灣的藝術文化。另外也隨著舞蹈節舉辦年度文化論壇,發揚了台灣各領域典範人物的事蹟,挖掘屬於台灣社會的記憶與感人故事,進而強化屬於台灣文化的主體認同。基金會亦長期投入關注人權及社會議題,號召民眾一同聲援社會行動,帶來文化省思的契機,期待實現台灣文化主體的願景。

重要實績


(一)長年深耕文化暨致力國際交流:

   蔡瑞月文化基金會在文化交流的耕耘,不遺餘力,分兩大重點。

  首先「深耕本土」,作為蔡瑞月的傳承機構,透過每年全台巡演活動,如蔡瑞月國際舞蹈節、「臺北愛瑞月」、外縣市邀約,將台灣現代舞先驅蔡瑞月的數十支經典作品包括台灣第一支現代舞「印度之歌」、第一支台灣人權舞作「傀儡上陣」、原住民議題作品「追」、女性議題作品「死與少女」等,扎根全台不同的角落的舞台。至今這些經典舞作在台灣演出場次都已近數百場,經由一次次地演出、再詮釋蔡瑞月的經典舞作,使舞作中追求自由與救贖的人道精神廣泛擴散傳播於台灣社會。

  第二是「國際交流」,將重量級國際舞蹈家及作品引進台灣這片土地。基金會至今已舉辦15屆蔡瑞月國際舞蹈節,長期與蔡瑞月自由之丘師門交流,演出石井漠、石井綠、折田克子等大師作品,為蔡瑞月舞蹈藝術溯源,也為台灣現代舞蹈建立了初步的系譜。不只如此,基金會還進一步延伸、演繹蔡瑞月舞蹈的人道精神,建立國際人權藝術的連結,邀請到澳洲現代舞先驅伊莉莎白・陶曼、美國黑人現代舞大師埃立歐・波瑪爾、韓國民眾舞蹈家李愛珠,蒞臨蔡瑞月舞蹈研究社演出。讓民眾在台灣,就能接觸美、日、澳、韓等舞蹈大師的舞作、創作理念、進而對國際局勢關懷,無形中促成台灣與國際雙向的舞蹈藝術的深化與交流接軌。


二)實踐人文社會關懷:

   蔡瑞月舞蹈精神背後,最重要的內涵就是透過一支支舞蹈創作、肢體,表達對社會的關懷。因此基金會除了舞蹈藝術的詮釋與實踐之外,更繼承並擴大蔡瑞月「救贖、療癒」的公共意涵,領導藝術工作者進行各種社會弱勢的救援、慰撫活動。基金會的救援行動,從關懷政治受難者,延伸到救援雛妓、乃至受虐之外籍移工與外籍配偶等。基金會的實踐行動推升社會掌握人權思潮的發展。為了讓每年基金會所希望呼籲的主張能更清晰,歷年舉辦的「文化論壇」、「蔡瑞月國際舞蹈節」,皆有明確的議題主軸與取向,體現蔡瑞月精神上的社會關懷性,直指基金會對人權、土地、環保等議題的關心。此外不只透過舞作及論壇議題探討深化,基金會更走出去,結合外部NGO組織,進一步社會實踐。以下說明:

 a. 文化論壇:透過文化論壇,過去曾揭示馬偕、孫理蓮、蘭大衛、蘭大弼、王金河、謝緯等人之人道醫療事蹟,宣揚其無私奉獻的價值典範,以及鄭南榕、史明、黃文雄、鄭自才、謝聰敏、高俊明、謝里法、撒烏瓦知部落等,率先將台灣文化發展史上,諸多與蔡瑞月相似的,在公衛、醫療、人權、政治、土地、藝術等各領域的楷模人物所代表的豐富人文資產留存並活化。

 b. 蔡瑞月國際舞蹈節:透過文化遊行與記者會等活動進行人文與社會議題的倡議,凝聚並探討人類普世價值,累積公民的社會參與意識。如2020年《看不見的戰爭 2020中國瞄準全世界》針對極權中國企圖以病毒癱瘓全世界,展開無聲的戰爭,終釀成全球危機,呼籲起身反抗、守護自由民主人權價值。如2019年《吶喊2019!抵抗紅色帝國》抵制中國與國內紅色代理人,聲援受中國迫害的維吾爾族、新疆、香港等人權危機,率先呼籲國際社會關懷政治受難者。2018年《台灣就是台灣 叫我台灣人》台灣處於困難的地緣政治,呼籲認清台灣夾在強權中的生存挑戰,唯有確立台灣文化的主體性,即人權、多元、文明的進步價值,才能走出一條屬於自己的道路。

 c. 社會實踐:透過與NGO團體如勵馨基金會、二二八事件紀念基金會、鄭南榕基金會、台灣人權促進會等超過三十個以上的國內外民間組織協作推動公民運動,搶救死刑犯、協辦反核大遊行、參與天安門事件紀念活動、聲援人權鬥士劉曉波、聲援香港民主運動等,持續為公民社會發聲。


三)同步將有形暨無形文化資產轉型為無價人權場域:

 a. 古蹟救援

   蔡瑞月文化基金會長年投入蔡瑞月舞蹈研究社的救援工作,成為古蹟保存運動史上的典範,過程一波三折,經過藝術界、文化界、建築界等領域文化人前仆後繼地聲援與搶救,於遭遇拆遷危機後,舞蹈社終於在1999年迎來受指定為市定古蹟的榮光。

 b. 舞作重建

2000年舞蹈社遭受祝融之後,蔡瑞月文化基金會的團隊隨即展開蔡瑞月經典舞作重建工程,集結台灣舞蹈界老中青三代協助蔡瑞月完成早年舞作的重現,奠定台灣舞蹈史上現代舞的里程碑。

 c. 經典舞作及典範人物訪談影音資料保存

   基金會多年來致力於舞蹈史料的蒐集與建檔保存,從歷屆國內外舞蹈大師演出經典舞作,以及舉辦學者論壇與訪談,深化舞作交流及欣賞的視野,至今蒐藏與記錄了二戰後國內外六位重要舞蹈大師的紙本資料與編舞家們來台教學及演出的珍貴影音紀錄,更獲得舞蹈大師贈送的典藏舞碼及作品使用權,建構了多元的舞蹈資料庫。

 d. 轉型正義下的人權場域

基金會以「蔡瑞月舞蹈研究社」這個空間為主體展開藝術與人權的實踐,促使舞蹈研究社在近年轉型正義呼聲高漲下,成為見證台灣人追求人權民主、彰顯台灣核心公民價值最美的場域。蔡瑞月的精神象徵與舞蹈社凝聚了台灣集體記憶,如今已成為屬於台灣無價的「文化資本」。

財団法人台北市蔡瑞月文化基金会 ご紹介


財団法人台北市蔡瑞月文化基金会は、台湾の現代舞踊パイオニア-蔡瑞月の唯一の後継者として、「ダンス・土地・愛」を中核とする価値を掲げながら、蔡女士の作品の人道意識を解釈して広げ、当代社会における人権、環境、政治、歴史、台湾主体意識といった至要たる課題に積極的に答え、ダンスというアートを学術界の論述と合わせることによって、「蔡瑞月舞踊研究社」を台湾の重要な文化道しるべと築き上げた。

蔡瑞月文化基金会が受け継いだ「蔡瑞月舞踊研究社」は、1953年に蔡女士に建てられた。台湾が未だ文化閉鎖の時代において、蔡女士はダンス教育や創作、交流、出演を休まずにやり続いていた。当時の活発なダンス現場を表して、舞踊社は学生たちに台湾のモダンダンスを育成する基地と見られ、各国から舞踊家が相次いで訪れた。その中で、日本(榊原帰逸)、アメリカ(マーサ・グレアム等)、韓国などからのダンサーや芸術家をはじめ、台湾国内のアーティストや文化界を代表する人たちがよくここに集まった。早期の「蔡瑞月舞踊研究社」は、国際舞踊交流の場のみではなく、台湾の文化サロンとも言える存在だった。

このような独特で珍しい文化遺産をもとに、基金会は長い間文化の伝承と交流活動に力を注いできた。蔡女士の舞踊作品を再建することによって、台湾自らの舞踊系図を建て、そして台湾の歴史と常民文化を含むことで台湾意識を表す作品を保存し、芸術文化の種をしっかりとこの土地に残そうとしている。基金会は、毎年国際交流イベント-蔡瑞月国際舞踊祭りを主催している。2020年は15回目。今までアメリカや日本、オーストラリア、韓国から代表するダンサーを招待して、経験などを交わすことで台湾舞踊の世界における位置づけを強化している。イベントでは、コンテンポラリー思想をぶつけ合いながら、台湾の芸術文化を活発させようとしている。一方、舞踊祭りに伴い、毎年は文化シンポジウムを開催しており、台湾各領域のシンボルとなるような人物を紹介して、台湾社会ならではの思い出および物語を掘り出し、台湾文化を認めてくれるように、国民意識を一つに纏めようとする。人権や社会と関わった議題にも基金会はずっと関心を持つ。国民を招いて社会運動を応援することによって、自分の文化を反省するきっかけができて、台湾文化の主体性を実現するように願っている。

重要な実績


一、長年間台湾の文化を掘り下げながら、国際交流の場を力惜しまずに作ろうとしている

蔡瑞月文化基金会は、文化交流では力を惜しまずに努力しており、二つの分野に焦点を当てている。

まずは「土地への深堀」。蔡女士の後継ぎ団体として、毎年台湾をめぐるダンスツアーを通じて、例えば「蔡瑞月国際舞踊祭り」、「台北愛瑞月」、首都圏外からの出演招待などのイベントで、台湾モダンダンスの母-蔡女士の数十本の作品を台湾各地に広げていく。この中では台湾初めてのモダンダンス作品「インドの歌」、初めての人権ダンス作品「操り人形参上」、そして原住民関連作品「追い」、女性をテーマとした作品「死と少女」などを含んでいる。これまで、台湾では数百回を超えた公演をしてきた。演出毎に、蔡瑞月が残した作品は再現され、作品が語る自由と救いを求める人道精神がもっと台湾社会に拡散していく。

二つ目は「国際交流」で、世界屈指の国際舞踊家およびその作品を台湾へ招待すること。基金会は、今まで15回の蔡瑞月国際舞踊祭りを開催して、長い間は蔡瑞月の師事した日本自由が丘の師匠と付き合って、石井漠先生をはじめ、石井みどり先生、それに折田克子先生などの作品を踊ってきた。これによって、蔡瑞月の舞踊芸術の源を遡ることができ、台湾モダンダンスの最初の系図を建てることもできた。それだけではなく、基金会はさらに蔡女士のダンスの人道精神を伸ばして、国際人権芸術と結んでいき、オーストラリアのモダンダンスの先駆-Elizabeth Cameron Dalman、アメリカの人権舞踊家のEleo Pomare、そして韓国の民衆舞踊家李愛珠などを台湾に招き、蔡瑞月舞踊研究社で演出してもらった。これで、米日やオーストラリア、韓国といった国々のマスターの作品、創作のモチーフを台湾でも触れることができた。また、国際社会への関心を寄せることで、知らず知らずのうちに、台湾と国際と双方向の舞踊芸術交流も深められた。



二、人間社会への思いやり

蔡瑞月の作品に潜んだ精神的な側面は、創作ごとに、体の動きによって社会へ関心を表すこと。とのことで、基金会は舞踊芸術を解釈したり実践したりすること以外、蔡瑞月女士の「救い、癒し」という公共意義を拡大し、アーティストたちを社会救援へ導いていく。この社会行動の対象は、政治被害者から、未成年少女、虐待された外国人労働者に至った。毎年、基金会は主張を明確に呼びかけるために、「文化シンポジウム」と「国際舞踊祭り」を開き、人権、土地、環境と係るテーマへの関心を集めようとする。その上に、基金会は外部NGO団体と手を組んで、社会実践をも果たしてきた。

a.文化シンポジウム:台湾の人道医療の歴史と実績を遡り、台湾の文化発展の歴史において、各領域でモデルとなった献身的な人物の物語を一番先に保存して豊かな文化資産を世に発信して生かしていく。

b.蔡瑞月国際舞踊祭り:いつも舞踊祭り前の記者会見などのイベントで議題を提示して参加者たちの意識を丸にし、公民の社会参与の意識を高めている。例として、2020年は民主自由の価値を守るために、独裁中国への抵抗を訴えた。2019年は、香港などの地域の人権を応援した。

c.社会実践:NGO団体と協力し、今まで三十個以上の国内外の民間組織と共に社会運動を促進した。関心を持つ議題は多岐に渡って、死刑囚の応援や原発への反対遊行、天安門事件の記念活動、香港の民主を応援した活動などで、継続的に国民社会のために大切な訴求について発信してきた。


三、有形文化財および無形文化財を同時にお金で買えない人権基地に転じさせた

a.古跡の救援

蔡瑞月文化基金会は長期的に蔡瑞月舞踊研究社の救援活動に力を尽くしてきて台湾古跡保存運動史上の模範となった。これまでの歩みは、何回も挫折を受けて相次いで芸術界や文化界、建築界などから救援をしてもらった。そして、古跡解体危機を経てから、1999年にようやく台北市の指定文化財となって栄光を浴びた。

b.舞踊作品の再建

2000年に舞踊研究社では火事が起こった。蔡瑞月文化基金会のメンバーたちはその後間もなく蔡瑞月の作品再建に手掛けた。その際、台湾舞踊界から年を問わずたくさんの協力が集まって蔡瑞月女士の早期作品の再現はついに果たした。これは台湾舞踊史ではモダンダンスのベンチマークとなった。

c.作品および模範人物の取材と撮影資料保存

基金会は長い間ダンスについての文献収集やファイリング、データ保存に力を入れてきた。毎年ここで国内外の有名な舞踊家によって名作が演じられた。そして、学者シンポジウムの開催で深い対話ができ、作品に関する交流と鑑賞を深めることも可能となった。今までは第二次世界大戦後の六名の重要な舞踊家の貴重な姿や資料を記録して所蔵している。出版物をはじめ、振り付け師の台湾での指導と演出記録もある。もっとも、国内外の舞踊家から台湾のために作った踊りの作品と著作権を送っていただいたこともしばしばあって舞踊研究社の所蔵品をさらに充実させた。

d.転型正義(不正行為に対する補い)下の人権基地

基金会は、「蔡瑞月舞踊研究社」という空間を主体として芸術と人権活動の実践を展開。その故に、舞踊研究社は近年高まった転型正義の呼びかけを背景にして、台湾人が人権民主を求める姿を見守って、台湾の公民価値を照らす一番美しい場所となった。蔡瑞月の精神象徴、そして舞踊研究社は、台湾の集団記憶を練り上げて、今や台湾ならではの値のつけようのない宝物(文化資産)となった。

Brief Biography of Tsai Jui-yueh, Matriarch of Taiwan Dance

1921 The Born Dancer

When her family paid her no mind, little Jui-yueh liked to lie on the rooftop of her home in Tainan, watching clouds varying and picturing some dance moves in her mind. Even though she knew that her father would scold her for that, she still couldn’t stop herself from enjoying the fun up there.


1933 On The Path to Dance

Teenage Tsai Jui-yueh attended the high school which is now the Tainan Girls’ High School. There, a Japanese PE teacher had noticed her talent and interest in dancing and encouraged her a lot. One day, after seeing the performance of Ishii Baku’s dance company at a local theater in Tainan, Tsai determined to be a dancer in the future.


1937 Cultivation Journey in Japan

At the age of sixteen, to get professional training, Tsai went to Japan alone, mentored by Ishii Baku, the pioneer of Japanese modern dance. Greatly influenced by Ishii’s concept of “dance poem,” Tsai learned much from Ishii’s choreography and the company’s rehearsal. Later, to gain more knowledge and techniques of choreographing, she left Ishii Baku’s studio and joined Ishii Midori’s dance company.


1946 Returning Homeland

The next year after World War II ended, Tsai got on board the ship “Ta Chiu” and went back homeland with the ambition of broadening the vistas for dance in Taiwan.


1947 When Poetry Meets Dance

During the preparation for “The First Exhibition of Tsai Jui-yueh’s Creative Dance,” Tsai made acquaintance of the Cantonese poet Lei Shih-yu. They soon fell in love, got married, and had their first and only child Lei Ta-peng.


1949 The Jail Bird on a Rose

Taiwan society had since then entered the martial law period. Labeled as a “bandit spy,” Lei was arrested and exiled due to his political views. What’s worse, Tsai was also imprisoned because of him later.


1953 Devotion to Taiwan Dance

After being released from jail, Tsai settled her dance studio in Taipei, devoting herself to dance training, performances, as well as communication with foreign dancers. Fortunately, all her devotion had turned into the eye-opener for those who knew nothing about dance and cultivated people’s appreciation for dance art. As a result, Tsai Jui-yueh’s dance studio, in its cultural meaning, has been equal to “the cradle of Taiwan dance.”


2005 Fades Away in the Wind

In her decades-long dance life, Tsai’s achievements are more than introducing Western modern dance to Taiwan or creating over 500 productions. More importantly, she displayed great persistence in dance and love for homeland under the oppressive atmosphere—this is the spirit that should be remembered by all.


Rose Historic Site

Which is also known as “Tsai Jui-Yueh Dance Research Institute” since 1953 until now.